10月19日(木)サントリー
アバド指揮 ルツェルン祝祭管 ポリーニ独奏 ブラームス ピアノ協奏曲2番 ブルックナー 交響曲4番 トランペット首席 ラインホルト・フリードリヒが、真っ先に舞台に出てきました。 入場してきた、と言うより、喜色満面、ぴょん、と飛び跳ねて。 そういうコンサートでした。 プロ中のプロ、名人集団に対して妙なたとえで失礼ですが、 #初々しい高校生の、文化祭の最終日みたいな ブラームス、ポリーニとアバドがそこに居て、この曲を演奏している、 ーそのこと自体がもはや #歴史のひとこま という感じですね。 緊張感あふれる、というよりは、むしろリラックスした演奏とききました。 といっても、ゆるんでタガが外れてるのとは全く違う。全く違うのです。 その機微をうまく文章にできるかどうか。 たとえば、素晴らしく音楽的な、楽章から楽章への移りゆき。 1楽章がおわって、そのまま気合い一閃、2楽章に入る。 美しい3楽章から、そのまま、すっと終楽章へ。 ・・そういう楽章の移りゆきは、最高度の集中がなければ、実現しないものです。 2楽章のあとは、ハッキリと間をとって、チェロ首席ブルネロ(なんて贅沢な!)が、 ソロを奏で始める。 あの3楽章こそは、今のポリーニ、今のアバドが良く現れた、至福の時間だったと思います。 ポリーニのピアノを聴く、という意味でいえば、やはりリサイタル(アンコール5曲!)の凄みに一歩を譲りますが、親密であること、リラックスしていることと、音楽性の純度が、途方もない高みで調和している、この幸せ感は、やはり特別でした。 さて、ブルックナー 先日のマーラー6番は、完璧な、至高の演奏でした。 およそオーケストラ演奏というものが為し得る、最高の姿が、そこに具現されていた。 自発性とアンサンブルの究極の一致。 減点法の意地悪な採点にも完璧に答えてみせる、鋼のような音楽の力強さ、凛々しさ。 絶対崩れないフォルム。 #宇宙船の航行のような という突拍子もない私のたとえは、完璧と美の、アポロン的な一回性の結合をいいたいのです。 ・・ああ、語彙がない。 そこにあったのは、もはや演奏などというものじゃなくて、音楽そのもので、 妙なことに、音というより、何か固体のような、磁場のような、わけがわからんものです。 輝くのです。 命、かもしれない。 ・・・オカルトめいたことを書くつもりはありませんが、要するに、超えてました。 伝説の誕生です。 ブルックナーは、そうじゃなかった。 減点法でいったら、オリンピック本選まで進めません(笑) もう痛快なんだ。 皆様ご指摘の、アタマのホルン(名手シュナイダー)のプルッ から始まって、 管楽器各セクションの横綱達が、なかよく順番に、 #おっと #あら #うは、 これは、いちいちケチをつけたら、いけませんヨ。 3番サード長島のトンネルみたいなものです(わたし、その世代ではありませんが) いちいち豪華なんだ。 ジャック・ゾーンも、ザビーネ・マイヤーも、ラインホルト・フリードリヒも、 全然「守り」に入りません。 安全に演奏しよう、という意識がもはや消えてしまって、 なんというか、要するに楽しくやってました。 ただ、演奏という行為の非常に難しいところは、やっぱり、そういうタイプの演奏は、 至高の出来にはならないんですね。 断じて、断じて「手抜き」じゃない。 断じて、断じて「最終日になって、集中力がきれてきた」 のでもない。 あの比類ない演奏を形容するとすれば #人間的な マーラー6番は、人間を超えた演奏でした。 ブルックナー4番は、 オーケストラというものが、人間の営みの中でも最高に素敵な行為だ ってことを再認識するような演奏でした。 ブルックナーの音楽の本質には、畏敬の念を覚えるような、宇宙的なものがあります。 アバドとルツェルンの演奏には、そのような要素は余り多くなかったと思う。 最後に輝かしく音楽が終わったとき、私は畏敬にうたれて動けない、のではなくて #ああ、たのしかった! と思いました。 なりやまない拍手の中で、楽員達が楽器を片づけて、退場していきます。 その退場光景を見ながら、私は思いました。 #高校の文化祭が終わったみたいだ。 だって、楽員達がてんでに喜んで楽しくって、 あっちで抱き合ったり、こっちでスクラム組んだり わあ、わあ、yeah、yeah 最高の音楽、という意味では、断然、マーラー6番でした。終生、耳に残るでしょう。 でも私は、このブルックナー4番がきけて、本当に幸せでした。 少しは演奏の細部にふれておきましょう。 アバドらしい流麗なブルックナー。 1楽章、ビオラセクションの聴かせどころはタメイキが出るばかりの美しさ。 たぶん、2楽章の途中から、特段に高い次元に入ったと思います。 3楽章は勿論アバド向きの音楽で、駿馬のような、たいへんな聞き物でした。 4楽章は、出だしから最初のクライマックスまでが、特にものすごい出来で、瞠目しました。 そのあと、もうすこし楽々とした音楽になって、そのまま幸せに最後までいったかな。 あの神懸かり的なコーダは、楽しさ満点の演奏だと、神懸かり的にはなりません。 それはそれは輝かしく、さんさんと陽光がふりそそぐようなコーダでした。 ーーー 祝祭のおわりに アバドは、本当に、偉いひとです。 感謝と敬意と・・・ 言い尽くせません。胸がいっぱいです。 そして、もうひとつ。 これだけの演奏を経験して、しかし、その直前にきいた ハーディング=マーラーチェンバーの素晴らしい印象は、全く衰えません。 いや、ますます深まるといってもよい。 このブログを見て下さっている諸兄に、あらためて申し上げたいと思います。 #ハーディングを聴こうよ。 私達は、これから、彼とともに時を刻むのです。 とりあえず、来週末のNHK-BSで、 ハーディング=スカラ座 モーツァルト「イドメネオ」 <<必見>>
by Cosi-Ferrando
| 2006-10-21 15:28
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